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自己肯定感を高める方法④〜アイデンティティを変える〜

こんにちは

パーソナルコーチ の福井明子(あっこ)です。

脳科学で学んだプログラミングの話を中心に、

私たちの自己肯定感を高くするには?と

私あっこなりにやってきたことをお伝えしているシリーズです。

今回のタイトルにある「アイデンティティ」とは、

自己認識と訳せます。

自分がどういう人か、

なんとなく自分で定義していること。

ぐらいに思っていてくださいね。

それがどう自己肯定感を高めることと関わるか

記事にしてみましたので、最後まで読んでみてください。

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さて、以前

「私たちは7歳までにすでに出来上がってる」

とメールマガジンに書いたところ、

読者で仲間のMちゃんから、

「もう僕はいいですが、7歳の息子にとって

責任重大ですね」とコメントありました。

Mちゃんの息子さん思いなところ、

人となりと優しさを感じて感動しました。

でも同時にこう思いました。

(これじゃ、7歳以上の全人類が落胆しちゃうかな)

それで「いえいえ、人生はプログラミングなので、

どうにでも上書き保存できますよ」と返信しておきました。

今回はこのプログラミングが成り立つ方法2つのうち、

前回の「繰り返すこと」以外のもうひとつ、

「インパクトの強い体験」に関してお伝えします。

そして上書き保存はどうしていくのかも。

それではよろしくお願いします。

衝撃の強い体験が左右する

高所恐怖症を例にあげます。

インパクトの強い体験のせいで無意識に反応する例です。

高いところがどうしても行けない人は、

おそらく幼少期に高いところから落ちたりして、

生存本能を脅かすような経験をしているそうです。

大きくなるにつれ、何かのきっかけがあるたび、

自分が高いところへ行けないことがわかります。

「死んじゃうかも」という恐怖は誰にでも少しはあるものですが、

高所恐怖症を発症してる人は、

「高いところに行く」という想像をするだけで、

もう呼吸困難になったり大汗をかいたりして、

体が反応するのです。

そんな恐怖症はとうてい拭い去れるものではなく、

何らかのカウンセリングや心理療法で時間をかける必要があるみたいです。

インパクトが強い衝撃的な体験が人の行動を変えてしまう。

プログラミングが発動しているんですね。

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インパクトは特に悪いこと・怖いことだけでなく、

例えば好きなロックグループのコンサートチケットに当選し、

数年越しで観たかったライブに行くなど、

ちょっと想像してみてください。

結構自分の中のワクワク感が自動的に発動していませんか?

そして当日のライブ体験により、

それは余計に強化されて、

もっともっとファンになるということが予測されます。

いわゆる「追っかけ」になる可能性まで出てくる……

そうですね。

体験が私を左右する。

なのでどんな体験をするかを選ぶのが、

これからは大事ではないでしょうか?

「アイデンティティ」に気づくとき

それではちょっと長くなりますが、

私のアイデンティティが変わった体験を読んでみてください。

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それは私が24歳のころ、もう少しで25歳という冬。

アメリカに語学留学をするため初めて実家を離れました。

夢にまでみたアメリカ。

1987年の12月28日。

意気揚々と飛行機に乗って

大阪の伊丹空港を旅立ったのですが、、、

なんとその大韓航空機、

ソウル経由NYと飛ぶはずが、

霧でソウル空港に着陸できず釜山空港に着陸したのです。

今でも覚えていますが、機内は韓国語が飛び交ってパニック状態。

何が起こったかわからず不安な顔をしていると、

隣に座っていた大阪に出稼ぎにきている若い女性が

通訳してくれました。

結局釜山で一泊し、無事次の日にソウル→NYと着いたものの、

私のフライトスケジュールは大変更になっていて、

ピックアップサービスを手配していたのがドタキャン。

慌ててNY空港のカウンターで誰彼となく質問し、

分かったことが、

私1人でニューヨークからフィラデルフィア空港へ飛んで、

そこからリムジンバスに乗って

目的地のデラウェア州の大学街に行かなくてはならない。

大学付属の英語学校の事務局に、

慣れない手つきで大きな公衆電話にコインを入れて、

やっとのことで繋がったけど声が聞きづらい。

「明日来るのね、分かったわ」ぐらいしか聞こえない。

しかもフィラデルフィアに着いたらもう夜の20時で、

大学街までどれぐらいかかるか全く予測不能。

あり得ないほど広い空港内を端から端まで

スーツケースをひきずりながら、

走って走って、

最終のリムジンバスにすんでのところで間に合いました。

ラッキーなことに、バスの運転手さんがとてもいい人で、

その街に1軒だけあったモーテルに着いて、

部屋まで取ってくれたのです。

その運転手さんには10ドルという

その当時は破格のチップを払って、

何度も頭を下げてお礼を言いました。

アメリカでの最初の夜は、、、

見知らぬホテルの部屋、

キングサイズのベッドに座った途端、

うわーーーーーっ!!!

涙が溢れてきて、大きな声で泣き叫んでいました。

そんなドタバタで始まった留学がうまく行ったかというと、、、

クラスでもコンビニやスーパーでも、

得意だったはずの英語がさっぱり聞けない。

周囲のブラジル人やエクアドル人に囲まれて、

彼らの前に出る発言力に圧倒されて

自信をなくしていたその時期。

知り合いもなく家族とも連絡せず、

日本が遠のいて行ったその時期。

(30年前はノートパソコンもスマートフォンもありません。

私の通信手段は、電話か手紙かファックスだけの世界でした)

ある朝アパートの一室で、

私は初めての悟りを開いたんです。

その日は昨晩から降り続いた雪がやんで、

窓の外に見える細い木々にツララができていて、

太陽の光を反射してキラキラ光って見えました。

林の向こうに登ってくる朝日を

キッチンの窓越しに見て、

コーヒーを片手にベッドに座ってボーッとすると、

ホイットニー・ヒューストンのヒット曲が

ラジオから流れてきました。

目の前の壁に吊ってある鏡をみていたら、

私は私が誰だかわからなくなっていました。

するとサーっとカーテンが開いたように、

私の脳裏にこんな言葉が浮かんだのです。

「私はふくいあきこじゃなくていい」

すると次の言葉が浮かびました。

「私はメアリーでもジェーンでもいいんだ」

この悟りから、私は人が変わったように自由に人と話せるようになりました。

積極的にクラスで発言したり、

講師の太極拳クラスに参加したり、

学生寮で開かれるホームパーティに行ったり、

もう自分が誰だかわからないからこそ、

好きに動きました。

その後日本の家族から国際電話が来るまで、

私は日本人だったことや、

自分が福井明子だったと、

一度も思い出せなかったぐらいです。

まとめると…

今振り返ると、

自分にアイデンティティというものがあると認識した

初めての経験でした。

しかもアメリカンとジャパニーズ2つの自分を、

その頃同時並行で持ってたのでした。

今でもそのアメリカンなAkikoで英語を喋れるので、

外資系の会社で勤務してたときは、

コミュニケーションにあまり困ったことありません。

こんな風にインパクトの強い衝撃的な経験や体験で、

自分の一生、うまく波に乗れることもあるんだと思います。

なのでここでのおすすめは、

あなたが好きなことに没頭してみることです。

そのあなたのアイデンティティが、

新しい人生を作るキッカケになるかもしれないです。

その上で「繰り返し」て習慣化すると、

最高の望ましい未来まで作れる訳です。

ここであなたに良い知らせがあります。

ここまで読んできて私は一言も、

「自己肯定感が高くなった」とか

「自己肯定感が必要」など伝えていないことお気づきでしょうか?

逆説的ですが、そんなものなくても生きていけるということなんです。

その言葉に囚われることをやめてみてください。

するとあなたがいかにこれまでの人生、

好きに生きてこれたかも理解します。

( 悩みや苦しみを選んできてるとしたら)

すでにもう私たちは好きに生きてるし幸せなんだと理解できたら?

イコール「自分には価値がある」へと移行していきます。

肯定感が高いも何も、そのまんま。

「私はOKだ」と言えるようになるでしょう。

ここまで書いて、

自己肯定感に囚われる必要はないんですが、

「あなたの中にあるブロック」には気をつけてほしいと思いました。

ですので次回は、

自己否定を強めてしまうことへのアドバイスも書いてみますね。

お楽しみに。

あっこ/Akiko